『ウォークス 歩くことの精神史』
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活動家たちはワシントンを行進し、不正と抑圧を告発した。
彼岸への祈りを込めて、聖地を目指した歩みが、世界各地で連綿と続く巡礼となった。
歴史上の出来事に、科学や文学などの文化に、なによりもわたしたち自身の自己認識に、
歩くことがどのように影を落しているのか、自在な語り口でソルニットは語る。
レジャー、エコロジー、フェミニズム、アメリカ、都市へ。
歩くことがもたらしたものを語った歴史的傑作。
病と闘う知人のためにミュンヘンからパリまで歩き通したヘルツォーク。 釈放されるとその足でベリー摘みに向かったソロー。
インク瓶付きの杖を持っていたトマス・ホッブス。
刑務所のなかで空想の世界旅行をした建築家アルベルト・シュペーア。
ヒロインに決然とひとり歩きさせたジェーン・オースティン。
その小説同様に大都市ロンドン中を歩きまわったディケンズ。
故郷ベルリンを描きながらも筆はいつもパリへとさまようベンヤミン。
…
アリストテレスは歩きながら哲学し、彼の弟子たちは逍遥学派と呼ばれた。
彼岸への祈りを込めて、聖地を目指した歩みが、世界各地で連綿と続く巡礼となった。
このテーマで書くことの大きな喜びのひとつは、歩くことが限られた専門家ではなく無数のアマチュアの領分であることだ。誰もが歩き、驚くほど多くの人が歩くとはなにか考えをめぐらせ、その歴史はあらゆる分野に広がっている。だから知り合いの誰もがエピソードや情報の源となり、探究の見通しを立てる助けとなってくれた。歩行の歴史はすべての人の歴史なのだ。
誰でも歩ける、故に、多くの人が当事者として語ることができる。
歩くことの理想
三者が和音を響かせる、
そういった調和の状態。
徒歩ではすべてが連続的だ。歩く人は、内部空間に滞在するのと同じように空間の隙間にも滞在する。世界を隔絶して構築された空間の内部ではなく、世界の全体に生きているのだ。
テクノロジーは効率性の名のもとに増殖し、生産に充てられる時間と場所を最大化し、その間隙の構造化されえぬ移動時間を最小化する。そうやって空き時間を根絶してゆく。多くの労働者にとって、新しい時間節約の技術は世界を加速させて生産性を向上させはしても、ゆとりを生み出すことはない。こうしたテクノロジーには効率性というレトリックが付きもので、そこでは数値化されないものは評価され得ない。つまり、たとえば放心する、雲を眺める、そぞろ歩く、ウィンドー・ショッピングをする、といった何もしないことにカテゴライズされる楽しみの多くは、もっと確かで生産的な、あるいはもっと性急なもので埋められるべき空隙に過ぎない。
通勤を労働生産性の観点で見るとクソだけど、非生産的な徒歩移動の観点で見ると価値あるものに変換できるのかもしれない。変換するためには、通勤時間を仕事へつながる移動と認知しないメンタリティが必要。